こんにちは!
えーワタクシ、社会保険労務士になりたいと言って社会保険労務士試験の受験勉強(シャロ勉)をしていたのですが、残念ながら退屈しました。
「また訳の分からんことを言い出した」と思われるかもしれません。当然です。自分でも何が何だか分からない〜。
いやいや、実は、辞書検索をして遊んでいたところ、偶然「退屈」の項目にたどり着きました。読んでみてビックリ!「退屈」は元々は仏教用語であること、元々の用法は上記の如くであったことが分かりました。
辞書を引用しましょう。
退屈:修行の苦しさ、むずかしさ*1に負けて、悟りを求めて精進努力する心を喪失すること*2。
『例文仏教語大辞典』
まさにこれです。社会保険労務士試験の受験勉強は!そう、サトリ云々は別として、シャロ勉の苦しさ、難しさに負け、精進努力する心を喪失してしまいました(泣。もう一度、来年頑張ると言っていますが、負け続きのギャンブラーの発言のようで信ぴょう性がありません。
とはいえ、受験料がもったいないので、今年、受けるだけは受けようと思っております。
それにしても「退屈」の意味の違いの大きいこと!現代の意味は次の通り。
㊀差しあたって心を集中させるものがなくて、時間を持て余すこと。㊁心をときめかす変化やおもしろみに乏しくて、それに興味が持てないこと。
『新明解国語辞典』
一方、別の辞書ではーーー
①当面、することがなく、時間をもてあますこと。②あきて、いやになること。単調で、興味がもてないこと。
『明鏡国語辞典』
こうして見ると『新明解国語辞典』の方がより説明的で面白いと思いませんか?ある程度、漢字も混ぜていますしね。
ちなみに、皆さんの国語辞典には、なんて書いてありますか?
え?何?アンタの文章こそ退屈だ?ーーーそれは言わない約束でお願いします。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。またね!